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高松高等裁判所 昭和54年(う)73号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六年に処する。

原審における未決勾留日数中一、〇〇〇日を右刑に算入する。

押収してある理髪用鋏一丁(当庁昭和五四年押第二三号の一)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、徳島地方検察庁検察官検事中靏聳作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

所論は、原判決は、(一)公訴事実第一の殺人の訴因につき、被告人の所為は、被害者本田千敏の被告人の生命、身体に対する急迫不正の侵害に対しこれを防衛するため已むを得ずなした相当の行為であつて、刑法三六条一項の正当防衛行為に該当する、(二)公訴事実第二の銃砲刀剣類所持等取締法違反の訴因につき、被告人の本件理髪用鋏の携帯は、本田に会う以前は多数の同僚による未来の侵害に対する防衛目的のもので、その時間・距離もわずかであり、本田に会つた以降は同人に対して正当防衛が成立するから、結局全体として違法性が阻却される、として被告人に対し無罪を言渡したが、原判決は、右(一)について、本田の被告人に対する侵害行為を急迫不正の侵害と認め、被告人に防衛意思を認め、被告人の所為を已むことを得ざるに出た行為であると認めた点において、事実を誤認し、ひいては刑法三六条の解釈適用を誤つたものであり、右(二)について、違法性が阻却されるとした点において事実を誤認し、かつ銃砲刀剣類所持等取締法二二条及び刑法三六条の解釈適用を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は到底破棄を免れないというのである。

右の所論にかんがみ、当裁判所は記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を加えて原判決の当否を検討した結果、検察官の論旨は理由があるものと認め、原判決は破棄を免れないとの結論に達した。

その理由を述べれば以下のとおりである。

一  本件公訴事実第一(殺人の訴因)について

(一)  被告人が本田千敏を殺害するに至つた経緯については、原判決が詳細に認定判示するところであつて、このうち、被告人が神例造船で働くようになつたいきさつに始まり、同所での稼動状況、同僚との関係、本件犯行当日の本田らとの出来事を経て、当日午後九時ころ寮の洗面所前で木下和司と出会い喧嘩をし、荒川満夫に本田の所在を尋ね、その後自分の部屋に戻つて理髪用鋏をポケツトに入れ、次いで午後一〇時ころ寮に戻つた本田の呼びかけに応じて自室を出、二階ホールで同人と相対するまでの経過(原判決書三丁表七行から同八丁表一行まで)に関しては、後で触れる点を除いて原判決の認定に検察官も格別異論はなく、本件各証拠によつても概ね右のとおりの事実を認めることができるが、なお被告人が本田と相対する直前の木下との争いの模様、荒川とのやりとり及び鋏を持ち出した経緯については、木下及び荒川の原審証言をはじめ関係各証拠によれば次のとおり認めるのが相当である。すなわち、被告人は、手に木刀を持ち、木下に会うなり「お前さつき何や、ものの言い方教えてやる。」と言い、同人が「どうしたんやこら。」と答えると、「下へおりてこい。」というので、右木下は言うとおりにすれば木刀で殴られると思い、被告人に木刀を置くよう言つたところ、被告人は木刀を二階ホール西側突き当りの階段へ通じる出入口近くの壁際に置いてあつた下駄箱の裏側に置いた。そして、木下がすぐその木刀を取り出したところ、被告人は「何しよんか。」と言つて同人のえり首をつかんできたので、同人は右木刀で被告人を叩くと、今度は逆に被告人に木刀を取り上げられて殴られてしまい、そのうち騒ぎを聞きつけてやつてきた多数の同僚に制止された。被告人はなおも「下りてこい、下りてこい。」と叫んでいたが、そこへ東村盛がやつてきて空の一升瓶を床に叩きつけて割り、被告人にかかつていくそぶりをみせたが、近くの者に制止されて大事に至らず、その場は一応納まり集まつた者らは皆部屋へ引揚げた。それから被告人は、木刀を持つたまま自室の隣りの一三号室に行き、興奮した状態で本田と同室の荒川に本田の所在を執拗に尋ね、被告人の剣幕に押され、あまり取合おうとしない右荒川に対し、「隠していたら承知せんぞ。」とか、「本田はボデイービルや空手をしているか知らんが喧嘩の仕方を教えてやる。」、「隙があつたらうしろからでもやつてやる。」と言つて本田の帰るのを待つていた。すると間もなく、寮の玄関付近で「三井おるか。」という本田の怒鳴る声がしたので、被告人は「おう。」と言つて木刀を持つて一三号室を出、隣りの一六号室の自室ロツカーから理髪用鋏を持ち出してズボンの後ポケツトに入れ、二階西側のホールまで行き本田と対峙することとなつた。

(二)  次いで、被告人が本田と対峙してから本田が木刀を持ち被告人を追いかけるまでの状況については、原判決は、「二階ホールの中央付近で両者が出会い、しばらくのやりとりのあと、被告人は大藤恒雄の仲裁があつたり、本田の『木刀を放つてくれ、話し合いで解決する。病院へ連れて行つて怪我の治療をする。責任を持つ。』という言葉を聞いて話し合いで解決できると考え、本田に対し『木刀を捨てるから円満に話せんか。』と言つて、話し合いで解決することの念を押し、木刀を下駄箱の裏に投げ入れ、同人に治療のことなどの話をつけるため『話し合いをしようではないか。』と言つて階段を下りかけたとき、本田が下駄箱を倒して木刀を取り出し、『三井どないしたんや。この木刀でおれをどないにしようと思うとんや。三井やつてやろうか。」などと口走り、殴りかかつてきた」旨認定しているが、両者の仲裁に入つた大藤恒雄は、原審公判及び司法警察員に対する供述調書において、「ホール寄りにある一八号室にいると口論している声が聞こえたので部屋を出て見ると、被告人と本田が階段を上つた踊り場で向い合つて言い争いをし、被告人は右手に木刀を持ち、本田は被告人の左手を右手で掴んでいた。二人のところに行つて『喧嘩をしたらいかんではないか』と仲に入ると、被告人は折れた前歯を見せて本田に殴られたこと、本田が自分を呼びにきて喧嘩をしにきたことなど事情を手短に話し、本田には前歯をどうしてくれるとか言つていた。被告人に木刀を捨てるよう言うと、被告人はホールの壁際に置いていた下駄箱の裏に木刀を投げ込み、次いで本田にも手を離すよう言うと、同人も握つていた被告人の手を離し、二人に話だけにするよう言つた。それから、被告人は本田に向かつて『話しをしようでないか。』と言つて階段を下りて行つたので、本田に対し、『部屋に帰つて寝てなさいよ。鍵をかけていたら三井さんも中に入つてきて喧嘩売つたりしないだろう。』と言つて部屋に戻ろうとすると、いきなり本田は下駄箱をひつくり返して木刀を取り出し、原判示のような言葉を口にして階段をかけ下りて行つた。」旨述べている。この大藤恒雄の供述の信用性には疑うべき事情を見出し難いから、原判示のうち右供述内容に抵触する部分は肯認できず、従つて、大藤が仲に入つたあと本田が木刀を放つてくれ責任を持つなどと言つたとか、被告人が木刀を捨てると言つたとは認められないし、また被告人が階段を下りて行つたとき真実本田と円満に話し合いができると思つていたとも断じ難い。

(三)  次に、被告人が本田に殴りかかられた後の状況についてみると、この点に関し原判決が認定判示するところは、「被告人は階段を下りたところで本田に木刀で右側頭部を殴打され、両手で頭をかかえたところを木刀で左脇腹を殴打されたうえ、左足首付近を木刀で殴打されたためその場に転倒した。なおも本田が殴りかかつてくるため、被告人は無我夢中で同人の足のあたりを引張り、同人を転倒させ逃げようとしたが、左足首の激痛のため思うようにならず、はつて逃げようとしたがすぐ起き上がつてきた同人に殴りかかられ、手、足腰などを木刀で殴打された。これ以上頭部などを殴打されたら殺されてしまうと考え、本田の攻撃をひるませるため、ズボンの後左ポケツトに入れていた鋏を取り出し、右手で振り回し、同人の攻撃を避けようとしたが、同人はそれにひるむことなくなおも殴りかかつてきた。そして組みついてきて胸倉をつかまえ、首をしめ、木刀で殴打してきたため、被告人は本田の手を離そうとしたり、木刀で殴打してくるのを手で受け止めようとしたが意のままにならず、つかまえられているため逃げることもできず、このままでは殴り殺されると考え、鋏を前方に突き出し、本田の胸部付近を何回となく突き刺した。そのころ、本田は突然殴打を止めて後退し、座わり込み倒れた。」というものである。

原判決の右認定によれば、被告人は本田との闘争中終始同人の攻撃を受けて防戦一方であり、態勢を立て直し同人に積極的に向かつていく状態にはなかつたというのであり、この認定が、原判決も説示しているように、被告人の供述を全面的に信用しこれに依拠してなされたものであることは明らかである。しかしながら、本件当夜寮一階の風呂場から被告人と本田との闘争場面を目撃した工員赤松信太郎の原審証言及び司法警察員に対する供述調書によれば、同人は「風呂に入つているとダダツと階段を下りる音がし、間もなくして前庭の方で『なんな』とか『どしたんな』という喧嘩しているような声が聞こえたので、すぐ裸のまま風呂場の表出入口のドアを開けて前庭の方を見たところ、五、六メートル先のドラム缶を置いてあるあたりで男二人がいがりながら立つたまま組みついていた。すぐ体を拭きパジヤマを着たが、その時『止めてくれ。』という声を聞き、風呂場を出て階段の下あたりまで行くと、本田が木刀を持つて寄つてきたので『どしたんな。』と聞くと、同人は『病院へ。』と言つてその場に坐り込んでしまつた。一方三井は足を引きずるようによろよろと走り去つて行つた。」旨述べているのであつて、同人の目撃状況は瞬時のものとはいえ、被告人と本田との闘争中被告人が立つて本田に組みつき対抗している状況があつたことを明らかにしているのである。そして、前岩道彦作成の鑑定書(原審提出分)及び同人の原審証言によれば、本田には、左前胸下部に、(一)胸腔内に刺入し、心膜前壁を切破し、心臓左心室前後壁を貫通する深さ約九センチメートルの刺創、(二)心膜前壁を切破し、心臓右心室前壁に刺創を作り右心室内に止む刺創のほか、左前胸上部の胸腔内に達する二個の刺創を含め、前胸部を中心に一一個の刺創ないし刺切創、二個の切創及び上腕後面、大腿前面等に不整形の表皮剥脱と皮下出血があり、右(一)、(二)の刺創に基づく心臓タンポナーデにより同人は死亡したことが認められるところ、右前岩道彦の鑑定書(当審提出分)及び同人の当審証言によれば、前記(一)、(二)の致命傷となつた各刺創及び左前胸上部の胸腔内に達する二つの刺創は刺切された時相当なシヨツクで多くは茫然又は無気力状態となる、被害者が前後左右に烈しく動きあるいは繰返し木刀で攻撃している最中に加害者がこれらの傷を一部負わせることはできるが胸腔に達する刺創及び心臓にまで達する刺創を受けた後は被害者の力はぐんと弱まり加害者が優勢になり、その時点以後にさらに加害していることになる、鋏をやみくもにさし出しただけで出来る刺創ではなく相当強く力を入れて刺入している、創角に切れ込みがあまりできていないことからしてある程度動きが止まつた時点又は背中等が何かに固定された時に刺入した様に考えるのが適当と思われるというのであり、前記赤松が「止めてくれ。」という声を聞き、荒川が「助けてくれ。」という声を聞いた事実をも併せ考えると、被告人は本田からの攻撃に対して劣勢を挽回し積極的に同人に攻撃を加えたことを窺い知ることができる。また、本田が持つていた木刀は闘争の途中で真中から折れているのであり、前記の傷害を受けたあとでは木刀が折れるほどの力を振うことはできないから、木刀の折損は受傷の前であること、すなわち被告人は木刀が折れ本田の攻撃力が減退したあと前記の傷害を負わせたものと考えられる。従つて、原判決が被告人の本田に対する鋏による傷害行為の態様を、「被告人は本田から身をひるがえす余裕もなく殆んど密着した状態でたてつづけに鋏で突き刺した。」とか、「当時極度に興奮、狼狽していたため本田の態勢などを確かめることなく、同人の身体に向けてやみくもに鋏を突き出したものがたまたま同人の胸部付近に集中したと考えるのが相当であり、深さ約九センチメートルに達する刺創は被告人の突き出した鋏に酒に酔つて極度に興奮した本田の攻撃力が加わつてできたと合理的に推認できる。」と認定判示する部分は、少なくとも前記前岩鑑定人が指摘する四個の傷害に関してはそのように理解することはできず、原判決のこの点に関する認定は誤りといわざるを得ない。

もつとも、当審証人佐々貴士の証言によれば、同人は、「酒を飲んで寮の近くまで帰つてきたところ、本田が大声でぶち殺してやると言い木刀を振り回して被告人を追い回し、被告人は転げたりはいずり回るようにして逃げ回り、次いで本田が被告人の衿をつかまえ木刀で両膝をついた被告人を何回も叩いていた。この木刀が自分の捨てたものなので恐くなりその場を逃げ又飲みに行つた。」と述べており、同人の目撃状況はその内容からして被告人と本田の闘争の初期の段階であると考えられるが、被告人と本田の態勢が同証人が述べるような状態に終始したものと認められないことは、前述した諸点からの考察のほか、被告人が本田から受けた傷害の程度(傷害の部位等を写した写真撮影報告書、被告人の傷害の治療状況を述べる須見善充の当審証言、内科外来診療録及び約一週間の安静加療を要するとの記載のある被告人に対する診断書等)が被告人の述べるほど重大とは認められないことに徴しても明らかであり、従つて又前記佐々証言の信用性にも自ら限界がある。

(四)  以上の事実の検討を経たうえ、正当防衛の成否について考察する。

原判決は、急迫不正の侵害の有無に関し、「被告人は本田に話し合いで解決することの念を押し、同人も一応は納得した様子を示していたので所持していた木刀を下駄箱の裏側に投げ入れ、同人に先立つて階段を下りようとしたこと、仲裁に入つた前記大藤も話し合いで解決されもう喧嘩はおこらないと思つていたことなどからして、被告人は木刀を下駄箱の裏側に投げ入れて階段を下りようとした時点では穏やかに話し合いで解決できると考えていたと認めるのが相当である。」とし、「本田がこれに反して木刀で殴りかかつてくることは被告人にとつて予想し得ない出来事といわざるを得ず、同人の右行為はまさに被告人の生命、身体に対する急迫不正の侵害と言わなければならない。」と結論し、「このことは、被告人が鋏をズボンの後ポケツトに入れたままであつたとしても左右されるものではなく、また、これ以前に酒店で本田に殴られたことやその後の寮内でのもめごと、木刀、鋏を持ち出した事情などは、被告人が木刀を捨て本田と話し合いによる解決をしようとした時点で同人に対する攻撃意思を全然有していなかつたから、本田の攻撃の急迫性を否定する関係に立たない。そして本田の攻撃はその後も継続し中断したという事実は認められない。」と判示し、さらに、防衛の意思の問題について、「被告人は本田に対する憤激の情を抱いて反撃を加えたものとはいえ、これは副次的かつ付随的であり、その主たる意思は本田の突然の攻撃から自己の生命を防衛することにあつたと認めるのが相当であり、未だ防衛に名を藉りて本田に対する報復を加えるべく積極的な攻撃意思の下に加害行為に及んだという情況を認めることはできない。」と判示している。

右のとおり、原判決が急迫不正の侵害を肯定したのは、被告人が木刀を下駄箱の裏に投げ入れて階段を下りようとした時点で、本田と穏やかに話し合いができると考えたこと、従つて本田が木刀で殴りかかることは予想し得ない出来事であると認めたこと及び本田の攻撃が継続し中断した事実がないと認めたことによるものである。そして、外形的には原判決が認定したような経緯を示してはいるが、しかし被告人と本田とのやりとりの正確な状況については、前記(三)で認定したとおりであつて、話し合いをするについて本田が進んで申出をしたり或は納得した様子は認められず、仲裁に入つた大藤恒雄の勧めに従つた形で被告人が木刀を投げ捨て両者が相離れることになつたものである。被告人は本田とは仕事上の確執がからみ相互に反目し合う間柄であつたのであり、本件の二時間前に同僚の面前で同人に一方的に殴られ前歯を折る傷害を負わされ、同人に対し押え難いほどの憤りの感情を持つたであろうことは、被告人の固有の性格を持ち出すまでもなく容易に推測することができ、寮に戻つてから木刀を携帯して本田の帰りを長時間執拗に待つた事実、その間の山崎隼人とのいざこざ、木下和司との喧嘩、荒川満夫に対する言動等は、当夜の被告人の本田に対する憤激の情がいかに強かつたかを示しており、このような被告人とこれまた酒を相当飲んで平常心を失つている本田との間で円満に話し合いがなされる客観的な状況は全くなく、被告人自身も同様の認識を有していたものと認めるのが相当である。この点に関し、検察官の所論も指摘するように、被告人が本当に話し合うのであれば、大藤のいる二階ホールのその場か、近くの被告人の自室、あるいはその隣室の本田の部屋で行えば足りるし、またそうするのが普通であるのに、あえて階段を下り人通りもなく暗い寮の前庭へ本田を呼び出すという態度に出たことは、被告人に真実穏やかに本田と話し合う気持があつたかどうか疑わしめるのみならず、被告人としては大藤や他の同僚に仲に入られないよう同人らのいないところに本田を呼び寄せるためかかる行動をとつたものと考えられるのである。そして、被告人が本田と再び相対することになれば、同人が身を低くして謝罪すれば格別(本件時これがあり得ないことは同人の行動の経過に照らし明らかである。)、そうでないときは同人と喧嘩になることは目に見えており(大藤が、被告人が階段を下りかけたあと、本田に部屋に帰るよう言つたのもこの点を案じたからであると考えられる。)、その時には従前のいきさつからして、又鋏を用意し隠し持つていたことから考えて、同人に対し積極的に攻撃を加え報復する決意であつたものと認められる。このことは、本件犯行における被告人の本田に対する攻撃の態様、すなわち前記(三)で触れたように、被告人は本田に対し左前胸上部に胸腔内に達する二個の刺創及び左前胸下部に致命傷となつた二個の心臓に達する刺創を与え、これらは相当力をこめて刺入されたもので、しかも本田の持つた木刀が折れ同人の攻撃力が減じたあとなされたことに照らしても肯けるところである。

このように、被告人は本田と再び喧嘩となることを予期し、その機会を利用して積極的に同人を加害する意思であつたと認むべきものであるが、本田が被告人の投げ捨てた木刀で殴りかかつてくることまでも当然に予期していたかについてはなお検討を要するところである。検察官は、被告人が本田に木刀を示して挑発し同人が木刀で暴行してくることを予測していた旨主張するけれども、本件の木刀自体生命、身体を損傷するに足りる性状を有するものであつて、被告人が鋭利な鋏を身につけていたとはいえ、木刀を手にした本田と対抗するのは必ずしも容易でなく、従つて、被告人が木刀を下駄箱の裏に投げ入れた時、本田がこれを取り上げこの木刀で殴りかかつてくることまで計算し、あるいは当然に予期していたとまで認めるには疑問がある。しかしながら、本田が木刀を取り上げ被告人に殴りかかつてきたのも、被告人が木刀を示して本田を刺激したからであつて、被告人の挑発に起因するとみれないわけではないうえ、被告人は、本田と相対峙する前、木下和司との間で喧嘩となつた際、同人の求めに応じて木刀を下駄箱の裏側へ置いたところ同人にすぐ取り出され殴られたことを経験しており、これと状況を同じくする本田との場面において、同様の事態が起こり得ることは全く予期できないことではなく、被告人としては木刀による攻撃を当然に予期していたとはいえないが、反対に予想外の出来事であつたともいえないのである。もともと被告人が木刀の外に鋏を携帯するようになつたのは、司法警察員に対する供述調書(自首調書)において「山崎や木下等は本田さんらのグループですから、私と本田さんが喧嘩になれば本田さんに加勢するものと思われましたので、木刀だけ持つていては心細いので、私は一六号室にあるロツカーの中に入れてあつた理髪用の鋏をとり出し尻ポケツトに入れたのです。」と述べ、検察官に対する供述調書(昭和五〇年六月一一日付)において「本田さんと話合いたいという気持があつたものの恐らくすぐにでも喧嘩になると思いました。そうすれば私一人ではとても本田らにかなうはずがありませんし、手に持つていた木刀だけでは逆に袋叩きに会つてしまうと思いました。私としては本田さんや山崎らにとり囲まれ木刀で応戦してもかなわないときはこの鋏を持つて見せれば彼等もひるむだろうと思つていたのです。」と述べているように、木刀だけでは不十分なのでこれを補いこれと同じく本田に対する武器として所持していたものであつて、本田との闘争の過程で木刀を奪われても、これに対抗できる武器として使用することも当然考えており、本件のような事態の展開は、本田が木刀で殴りかかつてきた時には突然であつたとしても、本件の経過全体の中で観察した場合、格別異とするに足りず、予測されたところであり、また本件の鋏は木刀以上に人身に対する攻撃の効能を有し、木刀で殴りかかつてこられてもこれに相応に対抗し得る武器であると認められるから、本田の木刀による突然の攻撃は当初の時点では優位に立つとしても、終始被告人に劣勢を強い一方的な危険を与えるものではない。

以上要するに、本件はいわゆる喧嘩闘争と目すべき事案であつて、被告人は本田の攻撃を予期し、同人から攻撃されたときは、隠し持つた鋏で積極的に同人に加害行為をする意思で本件行為に及んだものであり、正当防衛における侵害の急迫性を欠くといわざるを得ない。従つて、これと異なり、被告人の本件所為を正当防衛に該るとした原判決は事実を誤認したものというべく、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

二  本件公訴事実第二(銃砲刀剣類所持等取締法違反の訴因)について

原判決は、被告人が本件理髪用鋏を持ち出してポケツトに入れ本田に対しこれを使用した行為を一応銃砲刀剣類所持等取締法二二条にいう「携帯」に該当するとしながら、結局違法性が阻却されるとするのであるが、原判決の右判断が被告人の右鋏を用いての本田に対する殺害行為が正当防衛であると考えたことによることはその判文上明らかである。しかしながら、被告人の本田に対する行為が正当防衛でないことは前述のとおりであり、従つて殺人に用いた鋏の携帯が違法であることはいうまでもなく、原判決が被告人の右所為を無罪としたのは事実を誤認したもので、原判決はこの点においても破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して当裁判所において直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  神例造船株式会社の下請けの仕事に従事するため、徳島市川内町加賀須野九三番地所在の同造船下請業者専用工員寮に寄宿し熔接工として働いていたが、かねてより同僚の本田千敏(当時三八年)と仕事のことなどで反目し合つていたところ、昭和五〇年五月二四日午後八時ころ仕事を終えて酒店で飲酒中右本田と口論となり、同人より手拳で顔面を殴打され前歯を折られるなどの傷害を負わされ、その場は同僚らの仲裁でおさまり、前記寮に戻つたものの、本田に対する憤懣やるかたなく、同人の帰りを執拗に待つたあげく、同日午後一〇時ころ、寮に帰つてきた本田が大声で被告人を呼ぶのに応じ、木刀一本(当庁昭和五四年押第二三号の二は折れたもの)及び理髪用鋏一丁(同押号の二)を携帯して寮西側階段に近い二階ホールにおいて同人と対峙し、同僚の仲裁で右木刀を下駄箱の裏に投げ入れ、「話い合いをしようではないか。」と言つて、先に階段を下りて行つたところ、本田が木刀を取り出し被告人に殴りかかつてきたことから、とつさに殺意を生じ、階段を下りた寮前庭において、右理髪用鋏で本田の左胸部、腹部等約一三か所を突き刺し、よつて同人を左胸部刺創に基づく心臓タンポナーデにより間もなく同所において死亡させて殺害した

第二  業務その他正当な理由がないのに、前記日時場所において、刃体の長さ約九センチメートルの前記理髪用鋏一丁を携帯した

ものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、同第二の所為は昭和五二年法律第五七号による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法三二条二号、二二条に該当するので、所定刑中、第一の罪につき有期懲役刑を、第二の罪につき懲役刑を各選択し、右の各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数のうち一、〇〇〇日を右の刑に算入することとし、押収してある理髪用鋏一丁(当庁昭和五四年押第二三号の一)は判示殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

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